手織り絨毯の歴史と魅力

店主の紹介

「BARU-BARU」店主 東竜太郎と申します。手織り絨毯に出会ったきっかけと魅力をご紹介させていただきます。

20代後半、初めて海外へ行くことになりますが、ここから絨毯との出会いの始まりになりました。

パキスタンのイスラマバード空港へ夜中に降り立った時の衝撃は今でも忘れられません。空港から一歩外へ出た時の空気が、怒号に湧き立つ熱風のように私の体にまとわりついてきて、何かの予感を感じました。

雑踏の画像

人々のギラギラとしたエネルギーに圧倒され、身動きできず、アジアに魅了された瞬間でした。この旅で絨毯との出会いが出会いがきっかけで、福岡市で絨毯店「ドラゴンバーザル」を経営することになります。

その後もアジアの国々を旅して回り、様々な民族の歴史と伝統に根づいた手仕事(ハンドクラフト)の世界と出会いました。

とあるバザールの中を歩いていると、ほの暗い店の奥の倉庫の山に埋もれた、赤い絨毯に座ったアフガニスタン人の絨毯商に出会いました。手招きしている彼に誘われるがまま中に入り、勧めらるがままお茶を飲みました。

彼の周囲に漂う穏やかなる風格にただならなさを感じていました。彼と言葉を交わす中で、絨毯と共にそこで生まれ育ち、そして死んでゆく世界は、「絨毯」という枠組みを超えた壮大なもののように感じました。その時、絨毯に対する”哲学”が心に刻み込まれたのを今でも覚えています。

バザールの商人たちの画像

その後、子どもの成長をきっかけに、佐賀県基山町の農家の集落に移住をしました。

福岡の店も基山町の自宅へ移転して、お店の名前も「ドラゴンバザール」改め、基山町の上原(うえ”ばる”)地区から名前をいただき 「BARU-BARU」としてオープンしました。

20代後半、初めて海外へ行くことになりますが、ここから絨毯との出会いの始まりになりました。

パキスタンのイスラマバード空港へ夜中に降り立った時の衝撃は今でも忘れられません。空港から一歩外へ出た時の空気が、怒号に湧き立つ熱風のように私の体にまとわりついてきて、何かの予感を感じました。

人々のギラギラとしたエネルギーに圧倒され、身動きできず、アジアに魅了された瞬間でした。この旅で絨毯と出会いがきっかけで、福岡市で絨毯店「ドラゴンバーザル」を経営することになります。

その後もアジアの国々を旅して回り、様々な民族の歴史と伝統に根づいた手仕事(ハンドクラフト)の世界と出会いました。

とあるバザールの中を歩いていると、ほの暗い店の奥の倉庫の山に埋もれた、赤い絨毯に座ったアフガニスタン人の絨毯商に出会いました。手招きしている彼に誘われるがまま中に入り、勧めらるがままお茶を飲みました。

彼の周囲に漂う穏やかなる風格にただならなさを感じていました。彼と言葉を交わす中で、絨毯が共にそこで生まれ育ち、そして死んでゆく世界は、「絨毯」という枠組みを超えた壮大なもののように感じました。その時、絨毯に対する”哲学”が心に刻み込まれたのを今でも覚えています。

その後、子どもの成長をきっかけに、佐賀県基山町の農家の集落に移住をしました。

福岡の店も基山町の自宅へ移転して、お店の名前も「ドラゴンバザール」改め、基山町の上原(うえ”ばる”)地区から名前をいただき 「BARU-BARU」としてオープンしました。

BARU-BARU店主:東竜太郎の画像

草木染め手織り絨毯の歴史と魅力

絨毯の歴史

「トルコ 〜 イラン(ペルシャ) 〜 アフガニスタン」が三大ベルト地帯の画像

中央アジア~中近東~西アジアには、悠久な歴史の流れに育まれた文化がたくさんあります。

手織り絨毯は、「トルコ 〜 イラン(ペルシャ) 〜 アフガニスタン」が三大ベルト地帯だと私は考えております。

その周辺の国々、ウズベキスタン・トルクメニスタン・パキスタンも、貴重な絨毯を織りなしています。

これらの手織り絨毯は、様々な文化を持つ諸民族のあらゆる階層の人々によって使われてきたので、その形状や文様には彼らの感性・美意識・思想・宗教観・世界観が色濃く反映しているのです。

絨毯やキリムの織の技術・色柄は、地域や部族の歴史に結びついて受け継がれてきました。

これは自分の空想ですが、遠く遥かな昔、何千年・何万年前に羊の群れと人類が行動を共にし始めた頃にまで遡るのではないでしょうか。

礼拝の画像
手織り絨毯の豆知識

”織り”と書きますが、実は縦糸に対して糸を、結んで切って、結んで切っての、結びの連続の技術となります。そのため、毛足のある立体構造となります。素材は、羊毛、シルクが多数を占めますが、綿もあります。

日本に絨毯が伝わったのが、織田信長の時代1500年代で、陣羽織などに用いられてます。その当時、日本には羊がいなかったため、綿素材で作られました。佐賀の鍋島段通が有名な産地です。

キリムの豆知識

縦糸と横糸だけで構成された平織りの技法:平織り(つづれ織り)の事を言います。トルコでは「キリム」、イランでは「ギリム」、アフガニスタンでは「ケリム」と呼ばれてます。

手織り絨毯よりもキリムが古い起源を持ちます。理由は、平織りのキリムは絨毯の技術より単純である為です。歴史上最古の絨毯は起源前5〜6世紀ですが、キリムは紀元前6000〜7000年の遺跡の壁画に描かれています。

絨毯の魅力

一枚の絨毯は平面ですが、お部屋に敷いていただくと絨毯回りのインテリア(フローリング・テーブル・イス・家具・カーテンなど)を色めき立たせてくれます。

絨毯が1枚あるだけで、目に見えない空間に息吹が与えられ、それぞれのインテリアが活き活きしてきます。

まさに魔法の絨毯です。

夏に絨毯を敷くと暑いと思われる方も多いでしょう。

しかし、純毛の草木染め絨毯は、通気性に優れ、夏でもひんやり、冬は暖かく、一年を通してお使いいただけます。

毎日のお手入れも羊毛が持つ油分のおかげで汚れも付きにくく、掃除機だけで清潔に保てます。

そして経年変化で色つやが増し、使えば使うほど味わい深く変化していきます

夏に絨毯を敷くと暑いと思われる方も多いでしょう。

しかし、純毛の草木染め絨毯は、通気性に優れ、夏でもひんやり、冬は暖かく、一年を通してお使いいただけます。

毎日のお手入れも羊毛が持つ油分のおかげで汚れも付きにくく、掃除機だけで清潔に保てます。

そして経年変化で色つやが増し、使えば使うほど味わい深く変化していきます

遊牧民系と都市型工房系の2種類の絨毯

絨毯は大きく二つの種類に分かれます。
遊牧民系と都市型工房系です。
歴史的な背景やデザインなど異なる点が多くあります。
遊牧民系の手織り絨毯の画像

遊牧民系の絨毯

遊牧民族の絨毯ですが、歴史的にも古く紀元前より始まります。

羊と共に移動して暮らす遊牧民が、自分達の生活用具として作った織物なのです。

これは生命の力強さと大地のぬくもりを感じさせるものばかりです。

日本でも注目されたイラン南部のオアシス都市シラーズ周辺の遊牧民の絨毯、毛足が長いと言う意味を持つ絨毯「ギャッベ」が人気です。

子供が描いたような作為のない素朴な絨毯です。

紀元前からの遊牧民の生活に根ざした、魔除けであったり、単純な願いが
デザインの中に伝承されてきました。

遊牧民系の手織り絨毯の画像
イラン(ペルシャ)都市型工房系の手織り絨毯の画像

都市型工房系の絨毯

中世の時代、王様や貴族が自分達の権威を誇示する為に、より緻密に競い合って織られてきた経緯があります。

中東の絨毯と言えばペルシャ絨毯がその代名詞になるくらいに古今東西にその名を馳せてます。

デザインは洗練され繊細で多用です。概して鋭角的な幾何学模様を避け柔らかな曲線に富み、しかも緻密な具象的デザインを特色としてます。色彩は華麗で多彩、繊細にして洗練された構成が特徴とされてます。

遊牧民族の絨毯の結び目は1センチ四方の中に10~30位ですが、工房物は1センチ四方に100以上の結び目があるものが多々あります。

緻密であればあるほど、きれいな曲線が描け、面を柄で埋めつくすのも美の表現のひとつになります。オールシルクの美しい光沢の甘美で華麗な世界を醸し出してあるものもあります。

これは焼き物で例えると、工房物は磁器で、遊牧民族物は土ものの陶器と言えます。また、他に例えるなら工房物は蝶、遊牧民族物は個性的な蛾となります。